
| はじめまして。管理人Prueです。 生まれは大阪、大学は神戸、仕事は京都と三都物語状態の20代を送っていましたが、1996年ご縁かあってNZ生まれの男性に合気道のクラスで出会い、ワーキングホリデーでニュージーランドに入国しました。 もともと海外旅行は好きでしたが、最初は旅行と住むは大違い、理想と現実の厳しさにもまれました。97年、結婚。98年、出産。しかし、生活は気持ちの上でも経済的な面でもラクではありませんでした 最初のころのわたしは、仕事もやめ、親にもたんかを切ってでてきた以上、結果はどうあれ何か形を残すまでは帰れん!という気もちで「石の上にも3年」と信じてがんばってきました。 今思えば、やはり最初の3年は大変でした。つらいときは雨風ふせげて食べ物があるだけ幸せだ、なんてよく自分に言い聞かせたりしていたものです。 英語も彼の家族や友達が話してる中では何を話してるか会話についていけず、孤独感なんてよくある話でした。 おまけに、海外での新しい生活を夢見、運命の出会いなんて思ってた彼とも生活していくうえの現実では泥沼のケンカにもなることもあって、ちょっとまて、話がちがうやんか!と思っても、 英語ができず、自分の言いたいことが言えず、かといって、日本語で言っても向こうにはガツンと心に響かない、くそー、やっぱり英語でガツンと言ってやらなぁ!なんて、そのくやしさを、夜中に起きて何が言いたかったか、英作文して勉強したこともありました(^^; 25歳から30歳までは自分史で激動の5年間と言えるかもしれません。 今、思えば、自分でもよくやってきたなぁ、と思います。もう一度やれ、と言われたら、やっぱりパス。だけど、そのおかでげ今の自分があるのだと思うのだけど。 父母、家族のありがたさが痛いほど身にしみ、また、外国に住むことによって、日本人としての自分を考えるようになりました。 最初はおみやげ屋さんの店員や、老人ホームでの食事の準備、掃除の仕事などをしながら、新しい土地での自分のテリトリーや友人をふやしていきました。 赤ちゃんになかなか恵まれず、あきらめたころに授かったときは、この異国の地で血を分けた家族ができるのは大変うれしかったけど、外国での初出産、子育ては、大変でした。 今となってはいい思い出ですが、本当に最初の3年は自分でも必死だったなと思います。 子育てが少し落ち着きだしたころ、やっと自分というものに向き合う時間、そしてそれを実行に移す余裕がでてきました。自分とは?何がしたいか?どんな女になりたいか?どんな風に年をとりたいか?どんな老後を送りたいか? 本当はまた、赤ちゃんを授かりたかったのですが、なぜかいままでいただけず、そういった余力が早く自分を振り返させるきっかけになったのかもしれません。 女の20代後半〜30代は、意識的にも、無意識にもそういったことを考える年ではないでしょうか・・・もちろん、男性のみなさんも同じような経験をされる年代かもしれませんが。 そういった、自分を振り返ったときに頭に浮かんできたこと。こんな風になりたいなぁ、こんなことやってみたいなぁ、なんていうような何気ない気持ちだったのです。 日本では某通販会社で総合職として働いていました。教職はチャレンジしてみたかった職種でした。 幸い、ニュージーランドは生涯学習が根付いていて、何歳でも大学で勉強することができました。 土壌はそろっている。ダメでもともと、やめることはいつでもできる。挑戦してみることにしたのです。 大学に資料を取り寄せ何が必要かからスタートし、IELTSアカデミックの試験準備(わたしはNon−Nativeですから大学に入るにはIELTSアカデミックの試験で基準スコアをとらなければなりませんでした。)すったもんだのすえパス。 そして、願書出願、面接と晴れて、AUT(Auckland University of Technology)のB-ed(ECE Montesori Teaching)に入学できたのでした。 子育てと家事、勉強はやっぱりきついです。何度も、こんなことやってもムダなのでは・・・との思いが何度もよぎりましたが、やめることはいつでもできるんだ!半年終わったら、あと半年で終わるんだ!と自分を自分でで励ましながら、パートタイム学生として卒業まで結局5年間かかることになってしまいました。 そして、やっと今年(2004)で全科目終了予定です。うれしいことに、去年教育実習を受けたモンテッソーリプレスクールでジョブオファーをもらうこともでき、今は、パートタイム学生、モンテ園教員、母、妻(これはあんまりいい点はあげれませんが^^;)として日本人をIdentityにもつニュージーランド市民としてやっていきたい、とまで思えるようになりました。 (昔はそんな覚悟まるっきしなし。今はここでお墓に入るんだろうーなって。笑) ニュージーランドでくらす、勉強することによって様々な日本での英語学習についての疑問も生まれました。 日本ではネイティブな発音に視点がいきがちですが、海外ではいろんな国の人がいろんなアクセントを持ちながら、それにIdentityをもって彼らなりの英語を話しています。 わたしも普段から日本人というルーツを大事に英語を話していきたいと思うようになりました。 海外在住経験が長くなるにつれて、日本人を世界の民族として考えるとき、とっても優秀な民族だと強く感じるようになったのです。 日本にいると、つい日本の悪い所に目がいきがちですが、もっと自信をもって外国の人と対処すべきだと思います。 しかし、これに関して日本人の国民性なのか世界の公用語「英語」に関するコンプレックスは相当なものだと思います。わたし自身がそうでした。英語を話す自分と、日本語を話す自分とでは性格違うやん、みたいな(笑)。 今はやっと同じ自分になれたでしょうか。 ちゃんと調べてはいませんが、うちのとなりに住むサウスアフリカンホワイトのおじいちゃん70歳(元SASイギリス諜報局勤務)が「英語はもともと中世の商人が商売の共通用語として使い始めたのがきっかけ、そこから世界の共通用語になったんだよ・・・」なんて言っていました。 (このおじいちゃんの話だけで激動の20世紀みたいな話ができてしまいそうなくらい、いろんな話をしてくださいます) 日本人は日本人として、世界の公用語、「英語」を操って、どんどん活躍できる、活躍すべきだ、とおもっています。 このサイトが少しでもそのようなお手伝いができたら、交流スペースになれば、と思うしだいです。 仕事、勉強、子育て、そしてこのHPを通して、夢をたくさんの人とシェアできたらと思います。 このHPもまだまだ、わたしもまだまだこれからですけど、なんでも最初は何にもなかったのだから・・・。始めること、そして続けること、いっしょに「きっかけ」のお手伝いができれば幸いに思います。 1/4/2006 今回、地球の歩き方の取材に応じて、プロファイルを読み直してみました。読み直してみて、書き足したいところがでてきたので、少し書き加えました。 また、現在は公立の園で働いているので、そこも訂正しないといけないのですが、その当時のわたしの躍動感が伝わってくるので、そのままにしておくことにしました。 現在の私は、NZの幼児教育のプロとして自覚を持ち責任をもって働いています。 母として、小学生になった愛息の宿題、スポーツ活動、習いごとなどに手を焼きながらも、手を焼ける自分の人生をうれしく思っています。 友として、日本、NZと両国に心許せる友人に恵まれ、楽しいおしゃべりとお酒とお料理を楽しむ時間、元気がでます。 娘として、両親の年、健康が気になってきました・・・ 女として、30代・・・悪くないです。 だけど、まだまだ!Not enough 40代のレポートを書くのはもう少し先の話・・・ せいいっぱい今を生きよう! ポリシー&好きな言葉: *Never too late to do somthing *Slow down(ラッシュになりがちな日常を振り返って) *Be positive! *If you're not happy, you can't make one happy. (自分が幸せじゃなければ、人を幸せにすることはできない) ニュージーランドでのチャレンジ: ホームステイ、留学、親子ステイ、視察、現地幼稚園・保育所教員アシスタントボランティア、ワーキングホリデーサポートなどその他、くわしくはProgrammeをご覧ください。 セレクトニュージーランドは大手の旅行会社やエージェントとは一切、関わりがなく、私個人の時間が許す限りで、NZ生活の応援をお手伝いしています。現地在住ママの世話好きとでも言っておきましょうか。 気軽にお問い合わせください。 *お問い合わせフォームはあなたのニーズが簡潔によくわかるように選択式になってます。ぜひ、気軽にご利用ください。記入していただく個人情報はあくまで返信用のためなので、流用することは決してありません。 インターネットはなかなか顔が見えない世界です。だけど、顔が見れる、会って話せる関係もやっぱりステキです。いつか、ニュージーランドの大地であなたのお顔を拝見できる日を心待ちにしております。 |
